「(11)心臓 」
http://conceptos.exblog.jp/24833007/ からつづく。 腰(腰yao1) 52.腰がひくい 谦虚qian1xu1=謙虚である 平易近人ping2yi4jin4ren2=身近な人に穏やかである、温和である 53.腰がぬける 惊恐失色jing1kong3shi1se4=驚き恐れて真っ青になる 吓得xia4de0双腿xuang1tui3发软fa1ruan3=びっくりして両足をへなへなにする 54.腰をすえる 专心zhuan1xin1=専心する 致志zhi4zhi4=志しに至る 「リアルな腰」をどうするという動作、どうしたという状態をメトニミー使いする言い回し(<現実換喩系>)を見ていこう。 「腰がぬける」という身体状態は実際に発生するものであり、それは「リアルな腰」の無意識的な情動反応ないしは身体反応である。 「腰がひくい」という身体状態ないし身体動作も実際に見受けるものであり、それは意識的な感情反応ないし行為である(手揉みする商売人のように)。 そして両者ともに、リアルに腰が抜けることや腰が低いことばかりではなく、それに見立てる情緒性を表現することは言うまでもない。 中国語の「腰yao1」を使った言い回しでも、腰の力が抜けて立てない身体状態を「腰节骨yao1jie2gu3软站不起来」と言うが、それは驚く情緒性を意味しない。 「身体感覚をともなった情緒性」「情緒性をともなった身体感覚(態度)」を含意する「腰yao1」を使った言い回しには、 「伸腰shen1yao1」=立ち上がる、背筋をしゃんと伸ばす→もう人から馬鹿にされない、解放される、 「折腰zhe2yao1」=腰をかがめる、お辞儀をする→へりくだる 「抱腰bao4yao1」=(人の)後ろだてをする、陰で助ける があるが、同様のものはこれ以外に見当たらない。 「抱腰bao4yao1」は日本語の「肩をもつ」に似ていて後援者が支えるのが肩ではなく腰になっている。「肩をもつ」では後援者の顔面が前から見えるが、腰を支えるのであれば見えないから、陰で助けるという隠喩にもなるのだろう。 英語には「腰=waist,hip」を使って情緒性を表現する言い回しは見当たらない。 「腰」を使った言い回しが多く、それが「身体感覚をともなった情緒性」「情緒性をともなった身体感覚(態度)」を表現しているのは圧倒的に日本語で、それは日本語の身体語慣用句の特徴と言える。 上記のものの他に想い浮かぶだけでも、 「腰が重い」(なかなか行動を起こそうとしない。気軽に動か ない。) 「粘り腰」(相撲で、ねばり強く、容易にくずれない腰。転じて 、ねばり強い態度。) 「腰が強い」(気が強くて容易に屈しない。) 「腰掛け」( 本来の希望を 達するまでの間、一時ある職や地位に身を置くこと。) 「腰抜け」(意気地がなく、臆病なこと。また、その人。) 「及び腰」(自信がなさそうなようす。遠慮したり恐れたりしている ような中途半端な態度。) 「逃げ腰」(責任のがれの消極的態度。) 次に「ヴァーチャルな腰」をどうするという動作、どうしたという状態をメタファー使いする、どちらかというと抽象的な表現内容の言い回し(<仮想隠喩系>)を見ていこう。 身体動作なり身体状態を無意識的な情動反応ではなくて、意識的に感情表現としてする場合ほど文化的な個性が介在していく。 そして身体メタファーはよりヴァーチャルに、表現内容はより抽象的になっていく。 「二枚腰」(相撲などで、粘り強い腰のこと、またそうした腰の持ち主。) 腰付きがまるで二重になっているかのような、という仮想の比喩である。 そうした腰の持ち主を言う場合は、腰という部分で人という全体を比喩する提喩(換喩に含まれる)である。 このあたりは表現内容はリアルで具体的だが、以下、仮想と抽象性を増している。 「腰を据える」 (落ち着いて事に当たる。腰を落ち着ける。) 「腰を入れる」(しっかりした心構えで事に当たる。) 「本腰を入れる」(本気になる。真剣になって取り組む。) 「腰を折る」(話などを中途で妨げる。) 「腰が砕ける」(事を成そうとする意気込みが途中で弱まり、あとが続かなくなる。) 「腰」が本気、集中力、持続力という「身体感覚をともなった情緒性」「情緒性をともなった身体感覚(態度)」を象徴する仮想と抽象性がネットワークして展開している。 こうした「腰」は「ヴァーチャルな腰」と言える。 結論として、 「リアルな腰」「ヴァーチャルな腰」ともに、 「腰」を使って情緒性を表現する慣用句が多いことは、日本語ならではの特徴 と言える。 これは明らかに文化的個性が反映した結果だが、日本人の生活文化において正座が普及したことが影響しているのかも知れない。 正座しての身体状態や身体動作は、どうしても腰が要ないし起点になるからだ。 なぜ、そもそも日本人は正座をするようになったのだろうか。 未開部族にも正座の習慣はないから、日本人がそれを温存したということではない。 かといって文明化した民族にも、日本民族以外に正座の習慣はない。 私は、相撲の「腰割り」をヒントに、日本文明論という文脈でこう考えている。 「腰割り」とは、四股と並ぶ相撲の基本稽古の股関節の運動である。 西洋由来のエクササイズに見られるような「筋トレ」系とは異なり、重力と自分の体重を確かめるように重力に乗ることを覚える、ものである。 一般人の健康法ともなっていて、「力んだり無理することなく、股関節の動きを確かめるように数日または数回続けていると、股関節がゆるみだしているのが実感できる」「足取りが軽くなったり、歩く感じが安定してきたり、振る舞いが滑らかになったり、気力が充実してきたり」と解説される。 そこで気づくのは、 「腰割り」も「四股」もそして「正座」も、 自分の身体と大地の重力を一体化させる、あるいは調和させる基本的な運動であり姿勢である ということである。 そして、 自分の身体と大地の重力を一体化させる、あるいは調和させる ということ自体は、人類普遍の<部族人的な心性>のベーシック であった。 つまり、 日本人は、<部族人的な心性>をベースとして温存して<社会人的な心性>を形成していく過程で、 自分の身体と大地の重力を一体化させることを文明化した、 ざっくりと言えば、 (人間がまとう衣類やすまう家屋よりもまず先に)人間の身体を文明化した と言える。 それが、 日本人の生活行為における「正座」の普及であり、 トルコ相撲やモンゴル相撲など大陸と一線を画す日本相撲が「腰割り」や「四股」を基礎運動とすることにつながっている。 自然を神とするアニミズムを未開なものとして停滞させずに、 自然文明や身体文明に昇華させていった、それが日本文明である と言えば言い過ぎだろうか。 (参照:「正座と袷の着物と褌がなぜセットで日本に残ったか」) 「(13)腹」 http://conceptos.exblog.jp/24841712/ へつづく。
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| 2016-01-05 09:13
| 発想を個性化する日本語論
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私は自分が実際に日本の企業社会でした経験から普遍的な文脈や客観的な法則を導くために雑学する雑学者です。
「コンセプト思考術」も、フリーランスの構想企画者として複数業界で複数大手の仕事をした30代までの体験に基づき40代にノウハウ化、企業や自治体に研修したものです。 40代、様々なプロジェクトのプロデューサーとして集団や組織と関わった経験から、日本人ならではの発想思考や集団独創を肌身で感じとり、50代、それについての仮説を検証すべく科学や歴史を雑学してきました。 還暦になる今年を期に、これも本ブログで整理していきたいと思います。 20世紀後半、戦後日本の企業社会そしてマーケティングの実際はどんなものであったか、一般的に確かに息づいていた日本型経営や日本人ならではの集団独創とは実際の現場としてはどんなものであったか、ご興味ご関心のある方におつきあいいただければ幸いです。/ その他のジャンル
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