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こんな今だから「文化人類学の視角」が役立つ(7:後半)

「文化人類学の視角」山口昌男著 岩波書店刊 発



こんな今だから「文化人類学の視角」が役立つ(7:前半)
http://conceptos.exblog.jp/24540463/
からつづく。




「ウチ」による「ソト」の排除を解消する「女性原理」



私は、自由に活動する個人を適宜に集団に構成する「信長志向」の人間関係には「女性原理」が「男性原理」を超越して働いている、と体験を通じて実感してきた。
勝海舟が外様の藩士や脱藩者も受け入れた海軍操練所や、坂本龍馬が武士でない者も仲間にした海援隊も「信長志向」だが、そういう人間関係だったと推察する。

また、かつての日本型経営は「家康志向」と「信長志向」の合わせ技が一般的であり、野中郁二郎氏はその組織知識創造の特徴を「ミドル・アップダウン・マネジメント」と指摘した。
それはタンジュンな上意下達的な上下関係ではなくてボトムアップも前提されていた。
また、ナレッジマネジャーとしてのミドル同士が事業部門間を連携させたり、異業種異業界の企業同士や社内プロジェクトとフリーランスのナレッジマネージャー的な外部ブレインを連携させたりした事実から、やはり「女性原理」が「男性原理」を超越して働くものだったと言える。


タンジュンに言って、
「男性原理」は、
 分け隔てる認知表現パターンであり、
 縦社会とそこにおける身分上下の人間関係とその縄張りをダイナミズムの基軸にする。


それに対して
「女性原理」は、
 分け隔てせずに包み込む認知表現パターンであり、
 左右横並びの人間同士とそれによる組織内外の融通性をダイナミズムの基軸にする。


このような「女性原理」が、具体的にはどのように個人や集団や組織において展開してきたのか、
以下、文化人類学の視角から検討してみたい。



著者は、「3 記号としての女性」という項目でこのようなことを論じている。

「パプア=ニューギニアにおいて、好戦的な男が支配権を有していると考えるのは正しくないかも知れない。
 表面的にいかに男中心の社会であっても、家庭の資源は女性が管理しているし、子供を産み婚姻という制度を通して互いに姻戚になった男たちの間をとり持つ役割は、あくまでも女性のものである。
 というのもトンベア・エンガ族の社会では、一生の節々の行事の重要部分である豚の交換は、女性の管理のもとに行われるのである。豚を飼っているのも女性なら、豚の届け先を指定するのも女性である」

最初に断っておくことがある。
たとえば男性支配の要素が強い<部族人的な心性>が、家父長制や男社会の<社会人的な心性>に通じているということは一般に了解されているが、私は本論でそういう立場をとらない。
あくまで、
部族社会の男性を「男性原理を体現する記号」
部族社会の女性を「女性原理を体現する記号」

と捉える、
そういう立場をとる。
私が関心を寄せる、移動民の原初である「漂泊バンド」は、家父長制をとらず、家族の絆もゆるく、集団は出入り自由だった。つまり「男性原理」と「女性原理」が未分化の状態にあったと考えられる。
一般的な部族社会理解は、定住狩猟採集民についての研究成果である。
しかし、原初の移動狩猟採集民の段階で培われた<部族人的な心性>がそもそもあって、それが定住狩猟採集民において何らかの形で継承されたと考えるのが妥当だろう。


バブル崩壊以降、実質的に日本型経営の本質が払拭されて、ナレッジマネジャーとしてのミドルをキーマンとする「アップ&ダウン・マネジメント」という人間論的な組織知識創造論が後退した。
これと同時に、トップが直接、現場を動かせるフラットな機械論的な組織論であるアメリカ型経営が台頭した。
後者になって現場の管理職の自由裁量が増大したと強調されるが、そもそも機械部品的にミッションが限定されていてその中での自由裁量でしかない。
これは組織全体が機械のように、決められたインプットにより決められたアウトプットしか出せない、という意味で決定論的な知識創造体制になったことを意味する。
全体を俯瞰すれば、知識創造部門やサービス部門までが、製造部門の工場のようになってしまったということである。
組織が手段を展開する上での効率や正確さという点では飛躍的に向上したが、
組織が目的を創造する上での事柄は、機械自身が自らの目的を製造できないのと同じ理屈で、機械のON/OFFレバーを握る組織トップのみにに委ねられるか、組織トップを動かせる株主や債権者の意向が反映されるだけになってしまった。人間論的な創意工夫がなされる組織的な過程であるたとえばボトムアップは減衰し、組織内外の人間関係による補完は希薄になった。

「ミドル・アップ&ダウン・マネジメント」は、ミドルの人間論的な個性が社内外の多様なナレッジマネージャーをネットワークして、偶有性あるインプットにから偶有性あるアウトプットを導き出す、そういう意味で非決定論的な知識創造体制だったが、
そういう体制ではなくなった、組織全体の本質的変化としてはそういうことである。

それが必ずしも悪いことではない。
市場シェアが高く、利益率も高い、そんな事業であればそれでまったく構わない。企業とその商品が消費者や社会にそれだけ受け入れらているという結果からして、トップダウンのフラット組織でも昔気質のワンマン経営でも問題はない。
しかし、市場シェアが低い、利益率も低い、しかも市場成長性も乏しい、そんな事業を展開する企業であれば、なんらかの成長事業を創出したり既存事業を成長事業に再編する必要がある。
このような企業課題については、スティーブ・ジョブスのような天才が経営トップでない限り機械のような決定論的な知識創造体制では対応できないのである。この体制ができる対応は誰が経営トップになっても大して変わらない。画一的なコストカッティング、不採算部門の撤退、それに合理化という名の首切りである。


企業社会や企業組織の人間論から機械論への変化とは、
「女性原理」のダイナミズムが捨て去られ
「男性原理」のダイナミズムばかりが徹底されるようになった

ということに他ならない。


部族社会の男性を「男性原理を体現する記号」
部族社会の女性を「女性原理を体現する記号」
と捉える立場からすると、
現代の企業社会や企業組織においては、
男女問わず、
「女性原理」にのっとることが僅かになり
「男性原理」にばかりのっとるようになった
と言える。
女性の社会進出や社会的地位の向上はバブル崩壊以降、それ以前に比べて進展したが、企業社会の場合、女性がもっぱら「男性原理」にのっとる形においてである。
たとえば、女性ばかりの職場を作って女性向けの商品開発をするということが流行した。
それはそれで効率的かつ効果的なのではあるが、女性の縄張りという前提には、そこ以外は男性の縄張りという前提がある訳で、原理としては「男性原理」なのである。

「女性原理」を男性たちにも活用するという話は稀で、おおよそそれは柔軟な新興ベンチャーに限られる。
具体的な例としては、普段仕事で接しない部署の異なる男性社員が手作り料理を持ち寄ってみんなで食べる昼食会を定期的に催すことで、会社の人間関係を人間論的に育んだり再構築するなどである。

一方、
特に福祉やボランティア関連のNPOなど、「女性原理」にのっとる社会貢献組織が増大しその存在理由を高めてきた。
日本型経営の知識創造体制の特徴であった「ミドル・アップ&ダウン・マネジメント」は、そうした包摂社会を目指す活動の現場でこそ社会貢献的に、つまりは人間論的に展開していっている。
組織が小さくても大きくても心配りのある小回りがきくことが求められるため、
エキスパート(知識の適用者・開拓者)であるロアー(現場対応者)出身の
セマンティック・カタリスト(意味の触媒者)であるトップが、
ナレッジ・マネージャー(知識の触発者)であるミドルを兼ねるケースが多い。
そのために、企業組織とは異なる「ミドル・アップ&ダウン・マネジメント」の進化が展開している。
日本人の社会起業家の活動が多様化してきたが、そうした活動の現場でも同様の展開があると考えられる。

それは社会貢献組織における
「女性原理」にのっとった
「家康志向」と「信長志向」の合わせ技を基本とする日本型経営
と言うべきものにすでに成っている。


著者の部族社会についての論述にあった、
「表面的にいかに男中心の社会であっても」ということは、
その場その場で自己完結するつまりは分け隔てのできる構成単位で系統立てられる「男性原理」において「男中心の社会」に見える、ということである。
一方、
「家庭の資源は女性が管理しているし、子供を産み婚姻という制度を通して互いに姻戚になった男たちの間をとり持つ役割は、あくまでも女性のものである」ということは、
多様な家事を並行してこなしたり、子供に色々なことしたりさせたりして育児と教育を並行させる、そして家庭の多様な資源の出と入りを調整する、嫁いだ家の家族関係に組み込まれながら、生まれ育った家との姻戚関係にも心をくだくといった、包み込む「女性原理」においてホロニックな(全体と部分が一体の)関与している、ということである。
これは明らかに、その場その場で自己完結するつまりは分け隔てのできる構成単位で系統立てられる「男性原理」の世界とは真逆な世界である。


ここで想起すべきが、
<モノクロニック>と<ポリクロニック>
という二項対立である。

エドワード・T・ホールがいわゆる「民族性」について指摘した、
<モノクロニックな民族>と<ポリクロニックな民族>の対比。
それは以下のように整理される。

<モノクロニックな民族>       <ポリクロニックな民族>

●一回にひとつの課題に取り組む    ●同時に多くの事をする
●業務に集中する           ●中断に対し柔軟で、
                    注意をされてもよく耐えられる
●低いコンテクスト(単純な文脈)   ●高いコンテクスト(複雑な文脈)
 で、情報を必要とする         で、情報の蓄えがある

●仕事を完了することにかけている   ●人々と人間関係に傾倒している
●計画に対して宗教的に執着する    ●たびたびかつ簡単に計画を変える
●短期的関係に慣れている       ●生涯をかけた関係を結びたがる
●きちょうめんである         ●せっかちだが、よく働く


日本人は<ポリクロニックな民族>であり、
欧米人は<モノクロニックな民族>である。

そもそも<部族人的な心性>は人類普遍に<ポリクロニック>であった。
それをベースに温存し<社会人的な心性>を形成した日本人は<ポリクロニックな民族>となった。
一方、<部族人的な心性>を排除して<社会人的な心性>を形成した欧米人は<モノクロニックな民族>になった、ということである。

そして、文化人類学者が部族社会に目を凝らすと、
女性原理を体現する記号」である女性が暮らす世界は<ポリクロニック>であり、
男性原理を体現する記号」である男性が暮らす世界は<モノクロニック>である、
と言える。

ここで、

<ポリクロニックな民族>である日本人が自然発生させ当然のごとく成熟させてきた
日本型経営そしてその知識創造体制の特徴である「ミドル・アップ&ダウン・マネジメント」が
<ポリクロニック>
であり、

<モノクロニックな民族>である欧米人が自然発生させ当然のごとく成熟させてきた
アメリカ型経営そしてその知識創造体制の特徴である「フラット組織」が
<モノクロニック>
である

ということが当然の帰結であることは留意しておきたい。


「レヴィ=ストロースは、『親族の原初構造』の中で交換の理論、さらに構造理論の根底に、ものと女性との交換ということがあると主張したために、その点にいろいろ反感が集中した。
 しかし、『もの』という言葉自体が(中略)、近代においては非常にやせ細ってきたのであって、この言葉が本来もっている霊的なイメージから言うと、決して一方的に女性をおとしめるような表現ではないと思われる」

レヴィ=ストロースを含む欧米人にとって、ものとは、今私たちがカタカナで「モノ」と表現するような意味合いしか持たない。
それは、即物的な側面に限って言う、つまりは「分け隔てる男性原理」で意味を担っている。

一方、
「日本語だったら、『ものぐるい』の『もの』、『もののけ』の『もの』といったような、非常に広がりをもった語感が一方で生きているから、『もの』ということを言ってもそんなに反感を抱かれないかもしれない。
 西洋の『もの(筆者注=モノ)』にはそういう語感が欠如しているために、レヴィ=ストロースはその辺をうまく説明できなかったのではないか」
と著者が述べる日本語の和語の「もの」は「女性原理」で意味を担っている。


今、私たちも「モノ作り」などと書いてしまうが、日本人がしてきたのは単に対象となる即物的な「モノ作り」だけではない。
匠の技を結集することで入魂したり、主体である個々がそこまでできて一人前と言われる、そうなるための自己修養だったり、主体である集団がそこまでできて一流と言われる、そうなるための挑戦試練だったりした。
つまりは、
機械論的な<モノの機能論>で説明し尽くせるのは日本人の「ものづくり」のごく一部なのであって、
日本人の「ものづくり」全体は、多様な主体にとっての人間論的な<コトの意味論>における多角的な「ことづくり」の錯綜の中で浮かび上がらせるしかない


そして、このことは日本人にとって、単にメーカーや職人の「モノ作り」に限った話ではない。
小売りもサービス業も学問研究の学業すべての日本人の生業に一貫している。

日本人が当たり前と感じて自然体でやっているやり方で、外国人からするとユニークかつ理想的と絶賛されることは多い。
「おもてなし」と呼ばれる日本的な接客がその典型で、同じ東洋人、漢字儒教文化の中国人ですら絶賛している。この「おもてなし」は、日本の生活文化の中で育った日本人には理屈無しに身についたもので、かえってその素晴らしさが自覚できないできた。
欧米由来のサービスが主従関係において成立し対価が発生するのに対して、日本の「おもてなし」は、主客が対等で対価を求めない。この日本人の<社会人的な心性>は、<部族人的な心性>の自他未分化性をベースとして形成されたと考えられる。だから欧米の<部族品的な心性>を捨象ないし限界づけたマナーやホスピタリティとは異質である。それは日本人に特徴的な「縁起にのっとった<情>起点の発想思考」でもある。
ところが<部族品的な心性>は人類普遍に深層心理において息づいているから、外国人でも理屈無しに心底からの安堵や共感を覚えてしまう。(ただし、欧米人の<社会人的な心性>からすると、プライバシーの侵害やサービスの概念からの逸脱として受け付けられないところもある。)
こんな今だから「文化人類学の視角」が役立つ(7:後半)   _f0270562_2314788.jpg


アメリカ型経営が蔓延したのは何もバブル崩壊後の日本に限らない。
IMF管理後の韓国もそうだし、世界の生産工場から巨大消費拠点への脱皮後の中国もそうだ。
それは、各国の社会の変質、特に庶民生活の変容ということと軌を一にしている。

それは、「互酬性でつながれた社会」ではなくなってきたということだ。
お金に換算できない「贈与」のやりとりが解消され、
お金に換算される「交換」のやりとりだけを高度に管理化するようになった。
あるいは高度に管理化できる組織と制度に従来の組織と制度が置き換えられていった。

前述した、
「日本人の『ものづくり』全体は多様な主体にとっての人間論的な<コトの意味論>で多角的な『ことづくり』の錯綜の中で浮かび上がらせるしかない」
といった日本人の庶民の生業も、お金に換算されない「贈与」のやりとりを中核にすえた世界である。
それはかつてそこかしこ身近に体験できたり見聞きできたものだったが、今ではテレビで特集されるほどに稀少になった。過疎村に都会から移住した若者が高齢の村人たちに助けられるケースや、突然の来訪者でも人気芸能人だから歓迎される番組などで、例外的にあるいは刹那的に出現するばかりである。







著者の以下の論述は、「女性」という言葉を「女性原理」に置き換えても*正しい意味を表現している。

「互酬性でつながれている社会では、女性(原理*)はまさに二つの集団の紐帯であり、仲介者(媒介*)であると言ってもいい(中略)。
 つまり二つの集団間の関係の永続性の保証になっている。

 レヴィ=ストロースはほかのところで
 『女性(原理*)は人間(のダイナミズム*)として独立しており、当然威厳のあるものである』ということを言っている」

著者は「権力の起源」に言及してこうも述べている。

「女性(原理*)は、日常生活においては圧迫されているように見えるが、やはり最終的には本当の全体的な意味を与える役割を演じている。
 男(性原理*)は心の底では(集合的無意識において*)女性(原理*)が社会の真の中心的な価値の担い手であるということを意識しているけれども、同時に女性(原理*)が男(性原理*)のコントロールできない力をもっているという恐怖感を抱いている。
 だから根源的な力に対する恐怖をコントロールするために、その力に近い存在を排除するための機構をつくろうとする。

 このようなことこそが権力の起源である」

著者はある部族の「儀礼」に言及してこうも述べている。

「儀礼は女性(原理*)排除と男(性原理*)の優位性を決定づけるために行われる、と言えなくもない」

「二つのイメージで女神(女性原理*)が現れている(中略)

 一つには男(性原理*)が女神(女性原理*)を演じて(パラダイム内に導入して)行う祭りにおいては、この女神(女性原理*)は男(性原理*)に対する生を与え、イニシエーション(男性原理である*結社への加入)のチャンスを与えるけれども、同時に危険な女性(原理*)で、最終的には男(性原理*)を去勢した状態においておくというイメージが出てくる。

 それから二つには、死者の儀礼においては、この女性(原理*)は若くて美しい(筆者注:前項(7:前半)で引用した、文化の3レベルの1つ「美的機能」に通じる)と語られている。
 そして(中略)、儀礼的に泣く役割(筆者注:理性でロジカルに納得するのではなく、感性でエモーショナルに共感する役割)を演じる。(中略)

 この集団では、同じ女神(女性原理*)を解読するのに、男(性原理*)の解読の仕方と女(性原理*)の解読の仕方とが、きわめて対照的に現れる」


以上の言葉を置き換えた読み直しは、現代の日本社会の個人、集団、組織の諸相の構造的な本質を文化人類学的に捉えるにおいて有効だと思う。



「性的性差のエチカ」という本で著者リュス・イリガライは、

「数と観念」は男の世界
「場」は女の世界である

という意見を述べている。
これは、そのまま、

「数と観念」は「男性原理」の認知表現パターン
「場」は「女性原理」の認知表現パターン

ということである。

「場づくり」ということが知識創造やナレッジマネジメントの分野でよく言われる。
「場において人と人がリアルに相対した対話が大切だ」とも言われる。
しかし、
「男性原理」一辺倒の個人、集団、組織における「場づくり」は、どこまで言っても「男性原理」つまりは分け隔てる発想思考の反復しかできないのが実際だ。
各省庁が大学教授や業界専門家などを招聘して開催する「◯◯委員会」などはその典型であり、国や自治体が主催する「国民的議論」や「タウンミーティング」などもざっくり言って同様だ。
一方で、
「女性原理」が一貫した個人、集団、組織における「場づくり」というものが、この対極として存在する。
そのほとんどは、上意下達的に開催されるものではなく、左右横並びの人間関係が主軸となって草の根的に自然発生するものである。

ちなみに、バブル期まで一般的に盛んだった自然発生的な勉強会は、予測できない偶有性を包み込む「女性原理」にのっとるものだった。
私が主に30代に参加した勉強会は、様々な業界のミドルや様々な分野の助教授、様々な業容のフリーランス、そして外部の個性的な人材と積極的に対話し恊働しようとした名だたる企業のトップやキーマン幹部が、年齢や立場の違いを超えて集った。論題はその時々の発表者や集うメンバーしだいでまちまちだった。参加者の集う動機も多様で、同じ人でもその時々の出会いや対話内容の進展に応じて、遊びにも学びにも仕事にも変化した。基本的に一次会は発表者の発表を聞いたり意見交換をしながらの夕食。うまいもの会を兼ねていて開催する店が毎回変わった。二次会は、一次会の対話において関心や共感を抱いた者同士が二三人に別れての飲み会といった具合だった。よって人数的には一次会で五六名から多くて二十名くらいだった。

現在も、SNSを通じて知り合って集うオフサイト・ミーティングが盛んだが、それは、そもそも論題がサイト上で限定されていることや、主に企業正社員が所属企業と部署役割を提示して対話を始めることなど、明示知によって分け隔てる「男性原理」が働いている。
出会いや気づきの偶有性が期待されるが、そもそも論題と目的や動機が限定された上での予定調和的な話だ。
人数的には東京の場合、50名から100名以上と広いスペースを要するものが多い。私も赤坂のホテルのバンケットで開催されるものなど参加したが、ほぼ同じ業界人の交流に意欲的な者の集いに過ぎなかった。

どちらも多様なビジネスパーソンが個人の資格で主体的に参加しているから、かつての勉強会も、いまのオフサイト・ミーティングもなんら変わらないように見える。
しかし働いている原理が違うから集い方、集う場のあり方まで大きく違うことが確認できる。

これは、
日本の社会全体が、
「互酬性=贈与のやりとりでつながれた社会」
から
「ギブアンドテイク=交換でつながれた社会」
へと
変質
したことの
企業社会での展開であると思える。


勉強会は、主催者に呼ばれるか、主催者に承諾を得た参加者から誘われるしか、参加のしようがない。何を規準に呼んだり誘ったりしているか。あるいは誘われた方は何を規準に応じているか、というと業界や専門分野とか地位役割や職能といった明示知ではないのである。あまり世間に知られていないが何か面白そうなことをやっていそうだ、何か面白そうなことを考えていそうだ、という暗黙知なのである。それを嗅ぎ分けて見出したり真贋をきわめるのは身体知である。あの人が主催者ならばほんとに面白い人が集まっているのだろう、と参加したり、あの人が誘いたいならほんとに面白い人なのだろう、と参加を許されたりした。名だたる企業や大学の名刺があればフリーパスという世界ではまったく無かった。
論題はまちまちだし、来るメンバーも常連の他は入れ替わった。偶有性というものを、不確かでムダなものではなく、不確かゆえに未知の可能性があるものとしてポジティブに受容する人たちが集まった。
そういう意味において「女性原理」が働いていた。

私は二十代後半から呼ばれたが、当時勤めた会社の業容とはまったく無関係な発表をし、他者の発表に際しても自由に意見やアイデアを述べた。参加者は私のバックグラウンドなど関係なしに、私の発想や思考を評価した。気に入ってくれた参加者に自分の仕事への協力を要請された。そうした勉強会が発端になった人間関係とその仕事での協力は三十歳でフリーランスになった後も五十歳を過ぎて伊豆に移り住むまで広がっていった。
私の場合、私がしたこともない仕事を頼まれることが多かった。私の発想思考を自分の業界のこの案件で展開したらどうなるのか面白そうだ、というのである。
価値ある偶有性を見出そうとする人は、人との出合いだけでなく、同じ志向性を自分の仕事で新機軸を求めることにも発揮した。そのような人は数は少ないが、ライフワークとしてのポリシーなのだろうブレない一貫性があるので信頼関係がプライベートにも深まっていった。同年輩なら遊び仲間ともなり、疎遠になっても突然仕事を依頼してきたりした。どこかの会社や団体の役職に推薦しようとしてくれた先輩や、知り合った頃は小さかった娘さんが成人した後その結婚式に呼んでくれた大先輩もいた。

特に先輩方について述べておくべきことがある。
それは、彼らは人からよく相談される方々で、若い私を紹介してくださって私に成長機会をくださった。彼らは見返りを何ら求めなかった。彼らも若い時にそうやって先達に育てられ、それを自分がその年齢立場になってやっているのだった。私も年配になってから若い有志にそのように接してきた。残念ながら私は先輩方に比べてあまりに不徳で非力であったが。

「互酬性」というと単なるギブ・アンド・テイクと短絡する人がいるが、基本は「贈与」のやりとりであって、それはこのような先輩・先人からうけた恩に後輩・後進に返すことで報いる、ということを含む。
これは日本の庶民社会の人間関係の極めて美的かつ創造的な要素だと思う。
そして、その起源を文化人類学的に遡れば、美田や匠の技を残してくれたご先祖様により優れた仕事をすることで報いる日本的な<社会人的な心性>の先祖崇拝や、神である自然からうける恩に供え物をすることで報いる人類普遍の<部族人的な心性>の自然崇拝に至るのだろう。



著者は、「Ⅶ 排除されたもの」をこう締め括っている。

「産業文明以前においては、祝祭の場における『さかしまの祭り』のような一時的な均衡を回復する装置が開発されたが、
 パラノ型の思考の支配的な社会機構にあって、こうした解決の手段は次々に封じられてきた。
 多分、排除問題の最も有効な解決策は、今のところ『アイデンティティ』をよりスキゾ側に向けて開かれたものにしていくという手段の開発に求められるのかも知れない」

著者がこう述べたのは、1980年代中盤、今から30年前のことだ。
同時期に出版された浅田彰氏のベストセラー「逃走論??スギゾ・キッズの冒険」、それとともに有名になったフレーズが「スキゾ人間」と「パラノ人間」だった。

「スキゾ人間」とはいろいろなことに興味をもち、ひとつのことにこだわらない人。
これはまさに「女性原理」タイプと言える。

そして、
本来の日本人の特徴である<ポリクロニック>な民族性と重なる。)
◯ 日本人の集団志向2タイプの内の
 自由に活動する個人を適宜に集団に構成する「信長志向」
と重なる。

「パラノ人間」はひとつのことに熱中して、ほかのことは全く考えない人。
これはまさに「男性原理」タイプと言える。

そして、
アングロサクソンの特徴である<モノクロニック>な民族性
◯ 日本人の集団志向2タイプの内の
 集団を身内で固める「家康志向」
と重なる。


30年ちかくたった現在、世の中は著者の期待とは逆の方向に推移したと言える。
特に企業社会は、「パラノ人間×男性原理」が機械論的に横行するようになった。
その典型が福島第一原発事故の後その実態が原発推進の動きとして表面化してきた原子力ムラであり、2015年の安保法制成立を経て拡張していくだろう軍需ムラである。
一方、社会全体でその歪みを補完する必要が増大したためだろうか、
特に福祉やボランティアのNPOや社会起業家といった社会貢献組織が多様化して、
そこでは「スキゾ人間×女性原理」が人間論的に活性している。


私自身の実体験としてはこんなことがあった。
30歳で独立する前後の私は、社会的実績も経験も未熟で、ただあれもやりたいこれもやりたい、あれはこうしてこれはこうやった方が面白いぞといった発想と行動力だけで勝負する若造だった。
そんな私が、勉強会やその人間関係の延長で紹介されての意見交換を経て、大手企業の新機軸の摸索や打ち出しをする社内プロジェクトに、事業部門長や部課長といったミドルの要請で頻繁に参画させられた。

最近のNHK番組などを見ていると、かつての日本型経営の人間関係の本質である「互酬性」がすでに払拭されているにも関わらず、まだ日本型経営が温存されていて、しかもそれが若い人材を大切にしないで潰している、という論調である。事実誤認もここまでくると意図的なのではと疑ってしまう。悪者は他にいるのである。
私が体験したまだその本質が息づいていた日本型経営は、若い人材を大切にして活かそうとしていた。どこの馬の骨とも分からぬ若造をそのアイデアや思考展開を確認して面白いと認めれば、自社の正社員部課長のイコールパートナーとして受け入れたのである。
そのオープンマインドとフェアな企業文化は、現在の企業の人材活用における部外者に対する排他性や、社内での同一労働をする派遣社員への身分的差別とは真逆のものである。同じ企業社会がこうまで変質するものかと感心するが、それが日本型経営の仕業とするのはあまりの短絡、あるいはあまりの捏造である。
また、社会人一般の有り方として、年長者の社会的責務として自分の帰属する組織とは無関係な若者に対しても、意欲的な有志を育てようという気運があった。そんな気運が日本型経営の経営者や管理職はもとより企業社会の全体、日本社会の全体に満ちていた。

本来の日本型経営は、集団を身内で固める「家康志向」自由に活動する個人を適宜に集団に構成する「信長志向」の合わせ技だった。
ところが、そんな本質を人間論においた本来の日本型経営がバブル崩壊で短絡的に全否定されて、アメリカ型の組織への機械論化と仕事の有り方進め方の決定論化が進む。
それに並行した形で、機械論や決定論に最もなじまない人間論的でかつ非決定論的である「信長志向」が敬遠され排除され、「家康志向」ばかりに一辺倒化していった。
それが組織や制度の一事が万事に徹底されて、人材は正社員も派遣社員も就労者として機械の部品のように制約的に高度に管理されていった。
フリーランスも、いわゆる下請け仕事をする下請けばかりになった。これを、アウトソーシングと称した。
しかし、業務の丸投げや業務の効率化ならば前々からあった。本質的な大きな変化は、かつては東京の大企業から地方の中小零細までクライアントの求めに応じて社内にはない考えをもち物言いをする外部ブレインが、テレビに登場するような大手広告代理店に関係する著名人に限られるようになり、その派手な話題ばかりが知られるようになったことだった。

企業や役所もビジネスパーソンのほとんどが「パラノ人間」になり、「スキゾ人間」はテレビのブラウン管の中では、マルチな才能を発揮する芸能人や学者やクリエイターといった著名人が登場するが、それは一般の庶民社会では「スキゾ人間」が活かされずビジネスパーソンとしては影を潜めてしまったことの裏返しと見ていい。


かつての日本型経営の企業におけるナレッジマネージャーのキーマンには、「ミドル・アップ&ダウン・マネジメント」を社内外で活発に展開する「スキゾ人間」のミドルが多かった。
そして彼らが活用した外部ブレインも、多様な知識分野を創造的に統合したがる「スキゾ人間」だった。
今も昔も社内の組織体制でそれなりの地位役割につく者のほとんどは「パラノ人間」であるから、「スキゾ人間」のナレッジマネージャーは昔も少数派であって、日頃から外部の多数の「スキゾ人間」とのネットワークを保持しておいていざという時に知的バックアップを得て、「パラノ人間」には思いつかない発想ややる気にならない挑戦を展開した、ということでもあった。

ところがそうしたキーマン・ミドルとの縁で長い取引となった私のクライアント企業も、本来の人間論的な日本型経営を全否定し、機械論的に好採算部門とその人材だけを残す形のリストラを繰り返していった。
するとその会社と残った人材の体質は、どんどん機械論的な「パラノ人間×男性原理」にのっとるものになっていった。
私のような外部の「スキゾ人間」は、若造の時とは違って実績と評価を積み重ねたにも関わらず敬遠されるようになった。「スキゾ人間」を活用するような「スキゾ人間」のナレッジマネージャーは活躍の機会を失い会社を辞めていってしまった。フリーランスと言えば、「パラノ人間」の窓口から言われたことだけを忠実にこなしてけっして余計なことを一切言わない下請けのことになってしまった。
「パラノ人間」が不確実性を嫌うことと、リストラ圧力から保身を優先することを背景に、外部にアドバイスやコンサルティングを求めることは大学教授や著名クリエイターなどの権威者に限るようになった。かつての勉強会のような独自の伝手で無名な者でもアイデアや切り口が面白い者を自分の嗅覚を頼りに見出して活用する、そんなナレッジ・マネージャーやその役割を自らする経営トップは00年代には絶滅したか絶滅危惧種になった。


やはり企業社会全体において「スキゾ人間」の活動がバブルにピークをうちその崩壊の後どんどん減衰していったこと、つまりはバブルが転換期になったことは、その前後の時代を生きた就労者なら誰もが認めるだろう。

バブル期は明らかに社会全体の「祝祭性」のピークだが、単に景気が良くみんな儲かって金離れよく浮かれていたというだけの「祝祭性」ではなかった。
経済的余裕が社会と企業と個人にありそれが出発点や下支えになったことは確かだ。しかしそれゆえに経済的な豊かさに安住せずにむしろ有意義な自己実現を図ろうとする個人や、主に文化事業として社会貢献を目指す企業が一般化したのもこの時期だった。

「祝祭性」において、金銭的な「交換」はまったく副次的な表層である。
核心的な本質は「贈与」のやりとりであり、それによる「互酬性でつながる社会」の維持や向上に他ならない。
バブル経済下の様々な挑戦的な事業は、意識的か無意識的かはともかくも、そうした「祝祭性」をともなうものがあり、またそれが当時の一億層中流と言われた巨大な中間層の注目と共感を得たのも事実である。

忘れてはならないのは、昭和20年の敗戦直後の焼け野原から、日本人全体が戦後復興をめざして「互酬性でつながる社会」は活性化した、そういう「祝祭性」が旺盛となったということである。
これは、言わばエロス=生と創造の「祝祭性」であって、女性原理の「祝祭性」であった。
敗戦までの軍国主義に先導された「祝祭性」が、言わばタナトス=死と破壊の「祝祭性」であって男性原理の「祝祭性」であったことの、紛れもない大逆転であった。

昭和20年代の戦後復興期、昭和30年代の高度成長期、そしてオイルショックからバブル崩壊までの豊熟消費期まで、内容に変化はあるも、エロス=生と創造の「祝祭性」=女性原理の「祝祭性」が常に日本社会全体の基調として存続した。
一億総中流意識などというものは、自分にだけ寛容な意識ではない、他者にも寛容でなければ、お互いに認め合って成立しない意識である。

バブル崩壊後、長引く平成不況が「空白の10年」「空白の20年」と言われて、就職氷河期とリストラ圧力が慢性化し、企業社会だけでなく日本社会の全体がサバイバルを最優先する競争社会になっていった。
バブル以前も競争社会だった。しかし、エロス=生と創造の「祝祭性」=女性原理の「祝祭性」を背景にした競争とは、成長動機による自己実現の競争が、自己肯定/他者肯定で競合をよきライバルとして受容する形で包摂的に展開した。
一方、バブル崩壊以降の競争社会は、タナトス=死と破壊の「祝祭性」=男性原理の「祝祭性」を背景とした競争が展開された。これは、欠乏動機によるまさに生き残りの競争であって、自己肯定/他者否定の足の引っ張り合いや、自己否定/他者否定のネガティブな自他認識を共有しての呪縛の仕合いに向かう。強者が弱者を支配するだけではない、弱者がより弱い弱者を排除する。
このようにバブル期の前後を俯瞰すると、それが経済のインフレ期からデフレ期へのシフトと重なっている。これには経済的な因果関係だけでなく、人間関係の変質が社会全体の変質に繋がったこととの因果関係もあるのかも知れない。


私は25歳から30歳までディスプレイ業界の老舗大手で働いたのだが、そこで「総合生活文化産業」を標榜し画期的な新型百貨店開発を目白押しで進めた西武百貨店の仕事に携わった。
西武百貨店の本部装飾も対応した会社のデザイン部門も、自由に活動する個人を適宜に集団に構成する「信長志向」であり、常に打ち出した新機軸が話題となっていた。
あの当時の自分と周囲の人々がもっていた熱気というものの実質は、まさにエロス=生と創造の「祝祭性」=女性原理の「祝祭性」のもつ暗黙知や身体知であったと思う。

それは今、新興ベンチャーや社会貢献組織で熱意と希望をもって働く人々の集団にある熱気でもあろう。だから、それがバブルを境に無くなった訳ではないことは「信長志向」と同じだ。
しかし、企業社会そして日本社会の全体からすれば、減衰してしまった。
そして拡大したのは、機械論化した組織と機械部品化した人材において一辺倒化した「家康志向」と、タナトス=死と破壊の「祝祭性」=男性原理の「祝祭性」である。
2015年、戦後70年の節目の年に、憲法解釈が変更されて安保法制が成立した。直感的に後者の「祝祭性」の蔓延と徹底を危ぶむ国民は多い。


私は取り立てて個性的だったり優秀だった人間ではない。だが、職場の人間関係やクライアントと恊働する集団が創造的だった。集団の創造性が若造の私の個性や能力を引き出してくれた。
勉強会に誘ってくれた年長者やそこで知り合った年長者も、仕事や人生の先輩としてチャンスをくれたり人を紹介してくれた。社会全体の年長者が意欲的な若者を育てる、そういう「贈与の互報性」が人材を開発し育成する社会装置であり社会基盤であった。
それは、エロス=生と創造の「祝祭性」=女性原理の「祝祭性」というガソリンによって駆動するエンジンだったと思う。

一般的に、
<ポリクロニック>な「スキゾ人間」は目的の一貫性にこだわり、手段に関しては多様なものを包摂する「女性原理」を働かせる
一方、
<モノクロニック>な「パラノ人間」は手段の一貫性にこだわり、手段を自己目的化していて、異なる手段を排除する「男性原理」を働かせる
目的についての言辞は美辞麗句で実質を伴わないか、実質とは真逆の表現をする作為的なレトリックだったりする。



こんな今だから「文化人類学の視角」が役立つ(8:前半)
http://conceptos.exblog.jp/24556924/
につづく。




by cpt-opensource | 2015-10-11 04:00 | 日本型の発想思考の特徴論


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