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8)『種』志向か『態』志向かでまったく違う事業になる

★コンセプト思考術速習/第8編



商品×商売×店舗=事業が「種」志向か「態」志向か


「品種」から「品態」
「業種」から「業態」
「店種」から「店態」
という商品/商売/店舗のパラダイム転換をみてきました。
それは
<送り手側=提供者のモノ提供の論理>から
<受け手側=生活者の生活実現の論理>への転換でした。
この3つを掛け合わせたものが事業ですから、
「態」志向の企業(ないしは部門部署)
「種」志向の企業(ないしは部門部署)
があるということです。


「態」志向化の動向は、国内的には80 年代以降、顧客獲得をめぐる競争が強まり顧客志向が常識化して顕著化しました。
国際的には90年代以降、中国を筆頭に旧東側諸国が世界の生産基地化して価格圧縮をめぐる競争が強まり高付加価値化が課題となり顕著化しました。
いずれにせよ、旧西側、旧東側諸国そろって市場の主導権が送り手から受け手の側に完全にシフトしたのでした。

(そのほぼ最大の例外が電力会社が市場を独占する電力でした。
 80年代、公的事業体としては国鉄はJRに、電電公社はNTTに民営化し、市場の主導権が受け手のものになり事業の枠組みは<受け手側のコト実現の論理>になりました。(参照:「3’)1980年代から明確な思潮となった『パラダイム転換ルール』」とは4つの概念要素の組み立て方の転換」http://conceptos.exblog.jp/19056501/
 しかし民営化していた電力会社の方が、市場の主導権を送り手として確保、死守して今日に至っています。電力会社そしていわゆる原子力ムラが<送り手側のモノ提供の論理>にあることの意味合いの大きさは、2011年の東日本大震災以後に広く国民の知るところとなっています。

 ただし大手家電メーカーなどをもう少し詳しく見ると、00年代から10年代にかけて、「態」志向の部門を撤退し、「種」志向の部門に注力する形の「選択と集中」をするところが多く、そのほとんどが過剰な設備投資をするも売り上げ不振で経営危機に陥るという事態になっています。たとえば、ソニーはAIBOのロボット事業から撤退しスマートホンなどに注力、パイオニアは世界シェア一位のDJ機器事業を売却しカーナビなどに注力。
 このことには、一般的に日本の大手家電メーカーでは、「選択と集中」がモノ割り縦割りでばかり捉えられ、アップル社のようなコト割り横ぐしで捉えない、ということも関係しています。)


「顧客志向」という言葉は昔からありましたが、その正確な言葉の意味合いが、送り手側論理の色濃い「消費者志向」から、受け手側論理の色濃い「生活者志向」に進化しました。(企業や政府による対応が前者から後者に転換したかどうかは別問題で、あくまで概念の意味合いが転換したということです。)

それまで企業は、モノを買ってくれるから「お客様」であるとして、既存顕在の「消費者」だけを相手にしていれば良かった。
しかし、生活において様々なコトを実現しようとしている「生活者」に働き掛けて新しいニーズを創造することが、厳しい競争環境を勝ち抜く上で避けて通れない企業課題になったのです。
つまり、新規潜在の「新しい顧客を創造する(顕在化する)」ことが本質的な競争課題となっているのです。

それは具体的には、
従来の消費者向け「品種」「業種」「店種」で満足していた顧客に、
新しい生活者向け「品態」「業態」「店態」を打ち出すことで不満足を発見させる
ということです。

(ドラッカーが「マーケティングとは顧客創造である」と言う時、その「顧客創造」とは、既存顧客A、Bさんに加えて新規顧客Cさんを獲得するということではありません。
 これまで「品種」「業種」「店種」を買っていた既存顧客A、Bさんにも、それならば要らないと買ったり利用するつもりのなかった潜在顧客Cさんにすら、「品態」「業態」「店態」を打ち出すことで、新しい生活の実現という目的に目覚めた顧客A’、B’、C’さんにみんな揃ってなってもらうということです。)


既存顕在の「顧客」の満足=「顧客満足」を高める言わば「改善」の競争も、日常的なルーチンワークとして大切です。
しかしそれ以上に、新規潜在ふくむ「顧客」の期待=「顧客期待」を新たな次元に高める「革新」の競争で先行することが差別化戦略そして成長戦略として不可欠です。

つまりは、新次元の「顧客期待」に対する最高の「顧客満足」を課題として追求しない限り、企業は中長期的には生き残ってもいけませんし成長してもいけないのです。

企業は、「既存の市場に対応する」という短期課題を追求するだけでなく、同時に、「新しい市場を創造する」「新しい顧客を創造する」、正確には創造し続ける、という中長期課題も追求しなければならなりません。

(言わずもがなのことですが、
 「満足」とはすでに起きた過去に対する評価です。
 「期待」とはこれから起こる未来に対する評価です。

 ここには微妙な用語法のすれ違いが生じがちです。
 ある商品を改善しつづけているメーカーの開発者は、自分たちは新しい「満足」を創出していて顧客もそれを「期待」していると胸を張ります。
 しかし、ここで論じている「満足」とは既存のパラダイム(考え方の基本的な枠組み)での評価で、いくら新しい「満足」と言ってもその枠組みが従来と同じであれば、やっていることは改善であり市場は同質化競争となりがちです。
 たとえば、カーナビは、いまクルマのいるA地点を入力し行きたいB地点を入力すると最適のルートで運転を導いてくれるという枠組みにあります。そのパラダイムでいくら高性能化、高機能化して「満足」が高まっても、厳密には「信頼」は向上しても「期待」は生まれない。
 ここで論じている「期待」とは未存ないし新規のパラダイムそのものについての評価です。
 極端な話、初期のアップル社のMacPCのように頻繁にフリーズして「満足」はしなくても目指すパラダイムに共感して未完成として受け入れた、そんなこともあるのが「期待」です。

 もし、ネット端末化したテレビやPC化したブルーレイレコーダーで番組を再生していて、ここは一度行ってみたいという所が出てきた際、あるボタンを押すと、その位置情報と店舗や施設の情報がカーナビに送られ、たまたまその近辺をあるいはその方向にクルマで走行している時、音声で接近を教えてくれる、そんな機能を目指し少しずつ具現化していくとします。
 これは、従来のカーナビの既存のパラダイムではなく、未存ないし新規のパラダイムであり、従来のカーナビには関心のなかった顧客や生活者にも、そんなことができるのか、と「期待」を抱かせます。こういう「期待」に応えるのは、改善ではなくて革新です。

 またこういう観点で事業を客観視することも大切でしょう。
 競合と比べて「満足」が同程度満たされる時、生活者は「満足」と「期待」どちらの評価を重視するでしょうか。
 あるいは、既存の商品やサービスが同程度に成熟した時、投資家が投資先企業を選ぶにあたり生活者の「満足」と「期待」どちらの評価を重視するでしょうか。

 マーケティング業界では「顧客満足」が重視されています。
 しかし本来、それは「顧客期待」という対概念とセットで消費者であり生活者である対象の反応を捉えるべきなのです。
 具体的には、両者を縦軸・横軸にした高中低3×3=9のセルのマトリクスで生活者の反応を想定したり分析するべきです。
 実際問題として、あまり期待されていないことでいくら満足が高くても、顧客を安定確保することはできないのは明らかです。
 一方、初代ウォークマンのように粗削りでも新しい期待を創出することで、潜在的な市場の顕在化と顧客の創造は達成されます。
 前述したかつてのWindowsユーザーと著しく異なるMacユーザーの反応は、まさにこうした「顧客期待」の高さに支えられたものでした。そしてそれに応え続けたアップル社が、iPodやiPhoneやiPad(「品態」)×iTunes(「業態」)×Apple Store(「店態」)ヒットさせてきたのはけっして偶然ではありません。
 こうした高い「顧客期待」を先行させる事業展開は稀で、むしろ企業社会の実相としては、「顧客期待」を無視した「顧客満足」論が、「種」志向の「改善」ばかりに終始させ、「態」志向の「革新」を疎外してきていると言えましょう。)


さてこのような
「品種」「業種」「店種」を統合する「種」志向と、
「品態」「業態」「店態」を統合する「態」志向とでは、
企業の経営戦略ないし経営戦術として短期的にそして中長期的にどのような違いがあるのでしょうか。

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「品種」「業種」「店種」の市場は、最終的にその全体としての量的成長を鈍化させる

なぜなら、「種」志向は送り手側の横並びの事情や思惑が反映してどうしても商品/商売/店舗が同質化する、結果、大筋で同じ枠組みの高性能・低価格の過当競争に陥り、その果てに最も効率の良くスケールメリットを発揮する優位企業だけが生き残り、劣位企業の売上を喰っていきます。そのシェア争いの過程で生じる熾烈な価格競争が買い控えを助長します。買うのを先送りした方が、より高品質の商品をより安く手に入れられるからです。
よって、市場の量的成長を鈍化させる方向に作用すると言えます。

これは、世界の生産基地だった中国が世界の消費基地になってきて、グローバルな商品の市場規模が拡大している時には見えてきません。
戦後日本が高度成長期までそうだったように、新興国において拡大するボリュームゾーンに求めらるのは先進国ですでに普及し一般化している「品種」です。むしろ日本の輸出メーカーの課題は、本来あまり得意としない中品質低価格の「品種」をいかに投入するかになります。
しかし、そんなことが長く続くわけではありません。
特に中国経済の成長から成熟に向けたスピードは速く、日本の戦後の一億層中流化とは真逆に格差拡大が顕著です。そして富裕層から、万人向けの画一的な「品種」に空き足らず自分好みの個性的な「品態」を求める高感度層が増大してきています。

そして、新興国市場の拡大のような環境要因による市場規模の増大がない、あるいは止まった場合には、前述した買い控えの慢性化や、高品質化で商品の老朽化や陳腐化が遅れての買い替え需要の減衰によって市場規模の縮小だけが現象するわけです。


一方、「品態」「業態」「店態」の市場は、新しいものが登場した途端に全体の質的成熟を活性させる
活性させる、というとその目的語は量的な成長と相場が決まっているようですが、現実には、質的な成熟を活性させる、ということも現象します。
人口減少社会ではむしろ後者の方が現象しやすく、話題の中国も生産年齢人口は2013年でピークアウトして人口減少社会の仲間入りをしました。

なぜ「品態」「業態」「店態」の市場はその全体としての質的な成熟を活性させるのか。
それは、商品/商売/店舗の受け手にとっての意味に独自性が問われそれに明快に答える「態」志向が、それなりに安定した存在理由と生存領域とを獲得するからです。
そして、共通する「コトの画期的な意味」と「コトの個性的な感覚」を実現する、隣接する「品態」「業態」「店態」の「モノの特徴的な機能」と連携して市場を立体化していくからです。
その可能性は、モノ割り縦割りのデバイスが横断連携したり、異業界異業種のハード/システム〜ソフト/コンテンツ〜サービス/ソリューションが三位一体化したり縦横無尽で、具体的にはそれを合わせ技で繰り返してきたアップル社の様々な「態」志向の「革新」が典型です。

かつて{オーディオ市場}が{AV市場}に、パソコンと連動する{AVパソコン市場}に、さらにインターネットと連動する{AVネットワーク市場}へと展開した経緯を振り返ると、
新市場の萌芽期には必ず新「品態」が登場し、旧「品種」市場を陳腐化して飲み込む形で質的成熟を活性させてきた、
ということが確認できます。

「品態」は単なる新しいニッチ市場の誕生ではありません。
次なるメジャー市場を発展させる契機となりえるのです。
また逆に、当初は先行者が打ち出した「品態」だったものが、市場の質的成熟が一般化するつれて、多くの市場参加者が同質化競争する「品種」になっていくことも忘れてはなりません。
それが「商品のライフサイクル」というものです。


「品種」「業種」「店種」が存在理由を安定させるためには、つねにより安価でより良い高品質高性能でより広範囲な対象への商品提供を図っていかなければなりません。
「種」志向は送り手の横並びの事情や思惑を土台としますから、どうしても品質と性能は平準化していきます。結果、苛烈な価格競争に陥り、それに打ち勝つための拡大政策による効率追求を図ることが唯一の競争手段となります。

2010年代、日本を代表する家電メーカーが軒並み経営危機に陥りました。その原因は00年代に行った大ばくちの設備投資の失敗でした。それはスケールメリットによる低価格化を図る、拡大するだろう売り上げを前提とした拡大政策と言えます。ところが前提の目論みがはずれ巨額な赤字を累積したのでした。


一方、「品態」「業態」「店態」は、競争ポイントが価格や商品提供(生産や販売)の規模ではない要素にあります。競争優位と言うよりむしろ脱競合を目標とし達成します。
価格が大切な競争ポイントである場合も、単にモノが安くて品質がよいだけでは満たされない要素の方が受け手である生活者や消費者にとって重要です。

100円ショップのダイソウも、高品質低価格カジュアル衣料のユニクロも、マーケティング業界が注目したSCM(サプライ・チェーン・マネジメント)に象徴される{供給側体系}の「量の効率」だけで成功した訳ではありません。
タンジュンな理屈ですが、売れないモノの作り方や売り方をいくら効率化してもしょうがないのです。
新しいニーズを創造しそれを満たす独自のウォンツを開発して、新たな次元に「顧客期待」を高めていく「質の効率」こそが成功の基盤です。
これは生活者からすれば{生活創造の効率}と言えましょう。

ユニクロは、流行ともなる高機能で高デザインの家族全員のカジュアル衣料がユニクロ1ブランドで揃う、言わばファミリートータル・カジュアル・ショッピングを創造しました。
これはいわばCCM(コンサンプション・チェーン・マネジメント)であり、{消費側体系}の「質の効率」を捉えたと言えます。
「品態」「業態」「店態」は、生活者にとっては{消費側体系}の契機、行為、場として位置づけられ、この3者が「質の効率」={生活創造の効率}をもって統合的に連携してこそ成功する。
ユニクロが世界的に飛躍したのはこの統合的な戦略性ゆえではないでしょうか。

(ちなみにユニクロは、最初、2001年にロンドンに海外1号店を出店して失敗しています。
 ちょうど10年後の2011年、ニューヨーク5番街に出店して大きな話題となり人気を博しました。ニューヨーク・ソーホー(2006)、ロンドン(2007)、パリ(2009)、上海(2010)、台北(2011)の旗艦店ともども堅調を維持しています。
 10年の間にユニクロは、「品態」「業態」「店態」の統合的な戦略性を世界的にもユニークかつ優位なレベルに高めたということではないでしょうか。
 参照:プレスリリース「世界最大のユニクロ店舗がニューヨーク5番街にオープンしました」http://www.uniqlo.com/jp/corp/pressrelease/2011/10/102611_website.html





「種」志向と「態」志向との経営戦略としての違い


送り手側の事業効率「量の効率」は否定されようもなく重要です。
しかし、受け手側の生活効率「質の効率」の方がもっと重要です。
なにせモノが売れたり売り上げが伸びなければ効率もへったくれもありません。

この重要性を理解して競争に臨む企業が、生活者に最も歓迎されて高い次元の「顧客期待」を抱かれる独自性を確立しています。
そして結果的に、事業規模を拡大しつつ事業効率「量の効率」も最大化できているです。
ダイソーもユニクロもドンキホーテもいきなり多店鋪展開した訳では当然ありません。 

「品種」「業種」「店種」は、
送り手側の事業効率「量の効率」の中でしか質を高められない。

「品態」「業態」「店態」は、
受け手側の生活効率「質の効率」を起点に量を呼び込むことができる。

結果、「種」志向「態」志向かで、経営戦略としてはまったく逆となる致命的な3つのポイントを指摘できます。

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まず第一に、生活者の利用する心理が異なります。
「◯◯種」は、一番安いから買う、あるいは一番近いから利用します。
「◯◯態」は、高くても買う、遠くにあっても、是非とも利用したいから利用します。
これは企業戦略の方向づけの大きな違いに直結します。
ウィンドーズOSパソコンの日本メーカーたちとMacのアップル社との違い、日本のオートバイメーカーとハーレーダビットソンの違いなど、後者のユーザーやファンからすれば自分たちのこだわりのとして実感していることでした。

第二に、事業経営の安定性が異なります。
「◯◯種」は、競争に勝つ主要手段がスケールメリットによる効率追求です。将来を見越した事業安定のためには拡大政策を必要とします。(自社単独でするか他社との提携や合併でするかという戦術の選択はあります。)
送り手側の似たような事情や同じ思惑から立ち上がるため同質化競争は激化の一途を辿ります。長期的には市場シェア上位以外の企業にとっては事業リスクは著しく大きいと言えます。
「◯◯態」は、あくまでそれが実現する生活(あるいは業務用の場合はビジネス)の新次元化によって、最初に「顧客期待」の高度化を図る独自性で勝負します。
事業安定のためには、高い期待を抱いた新しい顧客との信頼関係を創り深めっていくことが何より大切です。
ソニーのバイオやサイバーショットの初号機の目的は、単に量産量販することではありませんでした。先行的な顧客の次号機への期待を高めるべく、商品ブランドの中核となるライフ(ないしビジネス)・ヴィジョンを明快に提示することにありました。それは、ウォークマン以来のソニーのブランド戦略だった筈です。安易な商品供給の拡大政策は、ターゲットにとっての「質の効率」={生活創造の効率}を低下させて顧客との信頼関係を散漫にしてしまいます。

第三に、見落とされがちな重要な要素ですが、働く人々の働く喜びや、働くことで育成される職能が異なります。
「品種」「業種」「店種」に関わる働きは、企画にしろ運営にしろ、事業効率つまり「量の効率」の中でしか質を高められません
一方、「品態」「業態」「店態」に関わる働きは、企画にしろ運営にしろ、生活効率つまり「質の効率」を起点に量を呼び込みます
そして、働く喜びや育成される職能は、後者の方が、前者にくらべてより個性的で創造的であることが一般的です。

バブル崩壊後の90年代、いわゆる「空白の十年」、有能な人材の流動化が進みました。その際、ソニーやリクルートといった「◯◯態」開発志向の強い企業の人材が引く手数多だったのですが、それは偶然ではありません。
若い人々ほど、「◯◯種」「◯◯態」の違いを生活者として肌身で感じています。ちなみに、ドトールコーヒーに是非とも就職したいという若者に出会ったことはないが、スターバックスに是非とも就職したいという若者には事欠きません。

00年代には、自分の個性や独創性を活かしたいという若者が「態」志向の企業への就職を希望し、それよりもグローバル大手のネームバリューと安定を求める若者が「種」志向の企業やその極地である省庁や自治体への就職を希望する、そういう二極化が顕著になっていきました。
常にあらゆる局面で非決定論的なアプローチが重視され創意工夫、仮説検証の求められる「態」志向の企業ないし職場は、決定論的なアプローチが重視され歯車にならざるを得ない「種」志向の企業ないし職場より、仕事のやりがいや楽しさがありますが、数は圧倒的に少ないです。
そこまで就職前の学生が分かっているとは思いませんが、就職後の3年以内の高い転職率を見ると、実際に入社すればすぐに若者は了解するのだと思います。
一般的には職場のストレスやゆとり世代がどうのという世代人格が問題にされますが、仕事にやりがいがあれば問題にならないことのように思います。仕事にやりがいがない上に、というか、仕事にやりがいがないからこそ職場と人間関係がギスギスだけしてそれを補うものが無い、ということではないでしょうか。

2010年代には、「態」志向の有無ないし強弱を採用基準として重視する企業も出てきました。
たとえば企業は、女性だけの開発チームが開発した新「品態」がヒットして、理系女子(リケジョ)の採用に意欲的になったりしています。採用担当者は、単に工学部卒業の女性ということではなしに、女性ならでの鋭い生活者視点を持っていることに期待しています。

 



参照:「コンセプト思考術/ざっくりパワポ動画講座9」
    http://youtu.be/L-76MApmi5s


*「9)『種』志向か『態』志向かでまったく違う人の生き方や国の形になる 」へつづく
  http://conceptos.exblog.jp/24441251/
  
by cpt-opensource | 2015-09-10 04:00 | コンセプト思考術速習10編


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