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7)店種から店態へのパラダイム転換

★コンセプト思考術速習/第7編



「町のレコード屋」から「大型CD店」へ


みなさんは「店種」という言葉を耳にしたことがありますが、
「店態」という言葉は聞いたことがないと思います。
「コンセプト思考術」では、

<送り手側のモノ提供の論理>で価値形成された店舗が「店種」
<受け手側のコト実現の論理>で価値形成された店舗が「店態」

と定義します。

単にモノを揃えて売るだけの店は「店種」です。
一方、「店態」は生活者や顧客という受け手にとって{情報受信の広場}{生活動線の一部}になっている。そこに着目してください。

バブル崩壊(定説では1991年5月)後の厳しい時期に成長できた店舗のほとんどは、「店種」ではなく新しい「店態」でした。
また、ネット上のサイトも{情報の店舗}と捉えればまったく同じことが言えます。
つまり、情報を受信するための習慣的なアクセスのある人気サイトは「店態」型サイトであり、たとえば買った商品が故障したなど用事のある時だけ利用するのは「店種」型サイトであると言えます。
また、生活者が情報を受信するだけでなく発信もする、売り手と買い手をマッチングして繋ぐ{市場(いちば)}サイトや、男女の出会いを促進する{広場}サイト「店態」型サイトでであると言えます。

この「店態」が、従来の「店種」しかなかったリアル世界に台頭しはじめたのが80年代でした。
つまり80年代以降に、21世紀初頭の現在当たり前になっている人気店鋪のあり方へのパラダイム転換が起こったのです。

具体的な事例を上げて確認していきましょう。
まず、大型CD店「ヴァージンレコード」を例に洋楽鑑賞生活の話をするのが分かりやすいです。

そもそも「ヴァージンレコード」は1972年 リチャード・ブランソン氏らが設立したレコード会社名で、これが郵便局員のストライキによる影響で営業できなくなり、リチャード・ブランソン氏がロンドンに設立したレコード店が「ヴァージン・メガストア」でした。これが世界主要都市に展開し、日本では1990年、丸井が合弁会社を設立して現在の新宿マルイ本館の地下一階、地下鉄コンコース地下道に面して旗艦店を営業した。後に甲州街道沿いのインザルーム新宿本館に移り世界標準の大型店舗化するも、2004年に閉店。2005年、TSUTAYA STORESホールディングスに売却。「ヴァージン・ステーション」の店名で展開していたマルイ店内店舗もすべて閉鎖して撤退しました。
なぜか一般的に「ヴァージンレコード」と呼ばれていたので、ここでもそう記述します。
要は、現在ある大型CD店の先駆けでした。
いちおう補足しておきますが、大型レコード店としてはタワーレコードの方がずっと古く、その1号店は、渋谷東急ハンズの斜め向かいの雑居ビルの複数フロアーでした。この店は、アメリカ製の安価レコードをマニア向けに売るもので、ここで解説する「店態」性をもつものではありませんでした。


今のような大型CD店が繁華街にできてくる前は、自宅に近い町にあるレコード屋を利用する、というのが全国の一般的な姿でした。
その当時の音楽鑑賞生活の様子を、特に洋楽のそれを振り返ってみましょう。

洋楽鑑賞生活はビートルズ人気(来日は1966年)から普及しました。それは、ジャズやソウルといった好きな洋楽ジャンルのFMラジオ番組(ステレオFM放送のローカル含めた全国化は1977年)を録音しながら聴く、というものに展開していきました。並行して普及していったオーディオ機器で録音する作業を「エアチェック」と言いました。今ならPM2.5の大気汚染のチェックのことかと思われるような和製英語です。
洋楽レコードは高かったので中々手が出ません。レコード店で店員さんに頼めば一人LP2枚までとか視聴できたのですが、そうまでしたのはよほど好きで詳しい音楽マニアでした。むしろメジャーなのは私のようなオーディオ機器がほしくて買ってからさて何を聴こうかと考えた音楽ファンで、視聴しようにも何を視聴していいか、どこかに自分好みの曲はあるのだろうけど、誰のどんな曲が自分の好みかさえ分からない。
結果、マニアにしろファンにしろ洋楽好きの多くが、FMラジオ番組を録音し録音テープを聴いて満足したのでした。マニアは、クロムテープとかメタルテープといった高いアナログテープを使ったものです。私もメタルで録音しオーディオ機器をメタル・ポジションにして聴いたのですが、私にはノーマルテープとの音質の違いがよく分かりませんでした。
それで、どうしてもこれはレコードで持っていたいという場合があります。その場合、番組を聴きながらレーベルのタイトルなどをメモして近所のレコード屋に行く。
すると個人的な尖った好みのレーベルほど在庫がないので取り寄せてもらうことになる。
都心でもそうだったのですから、全国津々浦々そうだったと思います。

こんな形で利用していたレコード屋は「店種」でした。
なぜなら、お客から注文のあったものを取り寄せて売ればいい、在庫を最小限にしてリスクなくできる<送り手側のモノ提供の論理>の店鋪形態だったからです。
店頭にないモノを取り寄せてもらって買うというのは一般的ですが、当時の洋楽レコードの場合、全国の一般的なレコード店では店頭にないことが前提だった訳です。
今にして思うと、店においてないモノが売れた、というのはそれはそれで凄いことでした。
おそらく、洋楽に限らず邦楽についても、小さな町の小さいレコード店ほど、客の欲しいレコードがヒット曲でないほど様子は同じだったと考えられます。
スマートホンで1曲単位でダウンロードでき、アマゾンのネット通販で何でも買える今しか知らない若い世代には、NHKの朝ドラの世界のような話ですが、歴史の授業だと思ってしばらくおつきあいください。


1990年、新宿の丸井本館の地下にオープンした「ヴァージンレコード」(当初はレコード店でCDの普及でCD店に)を皮切りに大型CD店が各地にできました。
それから洋楽の鑑賞生活は一変します。

自分の好みの洋楽ジャンルでどのような新曲がでて話題になり流行っているか、いちいちFMラジオ番組でチェックする必要がなくなりました。
大型CD店に何かのついでに立ち寄り好みの音楽ジャンルのコーナーに行けば、話題の新譜がディスプレイされていて自分で1曲単位の頭出しで試聴できる。今では当たり前ですが、アナログからデジタルへの変わり目に遭遇した私は歓喜したものです。
この時点で、試聴した新曲がCDとして買うに値すると思えば買って帰る、という今当たり前の洋楽鑑賞生活になったわけです。
(CDレンタルショップが登場してからは、買わずにいずれ借りればいいという選択枝もできました。映画でロードショーをみずにレンタルビデオがでるのを待つのと同じ選択枝ですね。)

こんな形で利用するようになった大型CD店は「店態」です。
なぜなら、お客は店にCDを買いに行くのではなく、まずどんなCDが最近でたかを知りに行く。気に入ったものに出会った時だけ買う。
これは「買いたいモノが分かっていて買いに行く店」から「買いたいモノを知りに行く店」になったということです(コトの画期的な意味)。
気ままに店に立ち寄って買わなくても音楽感性の集積感があって飽きない(コトの個性的な感覚)。
そんな<受け手側のコト実現の論理>で生活者に歓迎される店舗形態です。
ここで{コト}とは、単なるショッピングのことではなく音楽鑑賞生活全体のことですね。

大型CD店のような「店態」が可能になるには、レコードからCDへ商品が変わることが必要でした。小型でデジタルのCDになったから、集積した品揃えができるようになり、試聴もボタン操作だけのセルフサービスでできるようになりました。(かつてレコード屋では、試聴はお一人様2枚までと制限され、いちいち店員がレコードに針を落とし客には触れさせないところが多かった。)
レコードからCDへのテクノロジーの進化は、「店種」「店態」に変える必要条件でしたが、けっして十分条件ではありませんでした。
そこにはやはり「ヴァージン・メガストア」というイギリス発祥の「店態」コンセプトの導入が必要でした。
(たとえば、後に渋谷などにラッパー向けのレコード店が出てきますが、ラッパー生活を創造支援する「店態」になっている。つまり「店態」かどうかは、本質的にはテクノロジーや店鋪の大きさといった{モノ}の問題ではなくて、利用者にいかなる経験という{コト}を提供するかについての考え方の基本的枠組み、つまりパラダイムの問題なのです。)

 
大型CD店の売場構成は、音楽CDだけでなく映画やアニメのビデオやDVD、ゲームソフト、音楽書籍、音楽生活雑貨など、顧客の音楽鑑賞生活の実態に幅広く対応していきます。
生活者はどこから音楽レーベルに興味をもつか分かりません。

商品展示は、{ディスプレイ}から{VMD(ヴィジュアル・マーチャンダイジング)}に変わりました。
ディスプレイとは、衣料で言えばマネキンに洋服を着せて展示する手法です。ディスプレイで使った商品はコストになり、しかもその分フェースを喰うので機会損失になる。
一方、VMDとは、群としての陳列商品自体にヴィジュアルに情報を語らせることです。衣料で言えば形状・色柄・サイズ別に整然と陳列して、お客に商品の全貌を知らしめ自分の好みを効率的に探させる手法です。ユニクロの倉庫的な商品陳列はVMDを徹底した典型です。
大形CD店のCDのジャケット面をよく見えるように陳列する手法がこれに相当します。(かってレコード屋では、このジャケット面をみせる置き方ができる枚数が限られていました。)

さらに大型CD店では、VMDに加えて店員による手書きの推薦メモが添付されるようになりました。同じ音楽好みの人間だから書ける会話言葉で同好のお客の関心にこたえ共感を獲得します。
町のレコード店でもできた手法のようですが不可能でした。音楽好みが高度に多様化して、少ない店員ではとても対応できないからです。
それに大型CD店が対応できたのはその店員構成によりました。
VMDに対応する店員構成は、「東急ハンズ方式*」とでも言えば良いでしょうか、店員を商品ジャンルコーナーごとの仕入れと陳列をするスペシャリストに仕立てていきます。そうすることで集積した品揃えを広く深くしてしかもお客からの細かい質問にも答えることができるようになりました。
こうした全体システムがあって、多様な顧客の音楽鑑賞生活を多様に支援できる店舗にはじめてなっています(モノの特徴的な機能)。
(*東急ハンズ方式とは、ネジならネジの専門知識をもって仕入れと陳列をする商品分野ごとのプロを育成する店員制度。ツタヤやジュンク堂などの新興書店がこの店員制度を採用している。

 余談だが、いま公立図書館の運営をツタヤに委託するかどうかが問題になっている。図書館の司書が総合的な書籍分野を扱うのに対してツタヤやジュンク堂などの民間は分野分担するプロを育成活用している。1つの図書館では効率が悪い、多数の図書館の委託をまとめて受けるようにすれば、1人の分野担当が多数の図書館を巡回することで効率を向上させられる。
 図書館の書籍扱いと本屋では違う役割があるという反論があるのだが、図書館ならではの違う役割の担当を設ければいいだけのことだろう。
 こういう発想は、昔のパラダイム転換をたずねて今の打開策を知る、という一例だ。)

「大型CD店」によって生じたパラダイム転換を具体的に整理すると以下の概念図になります。

7)店種から店態へのパラダイム転換_f0270562_1947614.jpg




「買いたいモノを知りにいく店」がカテゴリー・キラーになった


大型CD店による「店種」から「店態」へのパラダイム転換、その本質を踏まえれば、以下のことを明快に理解して戴けるでしょう。

スーパーコンビニの違い

ホームセンター東急ハンズの違い

かつての百貨店やGMSの玩具売場>トイザらスの違い

かつてのバッタ屋的バラエティショップドンキホーテの違い

昔ながらの古本屋ブックオフの違い

◯一般的なファッションビルと東急109の違い

一般的な大型書店ジュンク堂の違い

以上はすべて、前者「店種」と後者「店態」の違いです。

「店種」は、買いたいものが生じた時にそれを買いに行く店です。
この場合、生活者は買いたいものがはっきりしているから、近くて短時間に買える方がいい。

一方「店態」は、買いたいものを知りたい時に知りにいく店です。
この場合、生活者は買いたいものに出会えば、はじめてそこで買う気持ちになるが、買わなくても楽しく時間を過ごせていろいろな情報を比較検討できる店がいい。

両者を比べれば「店態」の方が「店種」よりも圧倒的な集客力と販売力をもちますから、多店鋪化してバイイングパワーを上げて価格も安くしてくこともできました。
なお、かつては「店種」に分類されたホームセンターの中でも、ニトリやカインズなど「品態」のプライベートブランドのラインアップを充実したところは「店態」化ないしは「店態」性を強化して業績を延ばしてきました。
同様に、100円ショップも登場当初は単に100円均一のモノを売っているという「店種」性ばかりでしたが、え、こんなものがあるんだ、という驚きに満ちてきて、買わなくても楽しく時間を過ごせていろいろな情報を比較検討できる「店態」性が強いチェーンが伸びてきました。

「店態」は、生活者や顧客という受け手にとって{情報受信の広場}{生活動線の一部}となっています。
繁華街やショッピングセンターにあれば、反復来街者にとっては店内までが習慣的な生活動線になっていく。
一方、買いたいものが生じた時にしか行かない「店種」は、たとえ店の前をターゲット客層が多く通る位置にあっても、店内までは習慣的な生活動線になりません。

「店態」には集客の戦略があり、「店種」にはそれがありません(集客の戦術はありますが)。
ただし、注意しなければならないことがあります。
当初新しい「店態」として集客の戦略効果を発揮していた店舗でも、競合店が「店態」性を強化するようになれば、集客の戦略効果は薄れます。同レベルの「店態」性が一般化してしまえば、利用者は最寄り店や価格が一番安い店を利用するようになりカテゴリーキラーではなくなります。つまり、実質的には「店種」になってしまいます。その典型がコンビニで、通常店としてはセブンイレブンが常に業界初の試みをして「店態」性を強化し、他社はその成功事例を追随するという形になっています。他社は、たとえばローソンのナチュラル・ローソンのように新型の派生店で「店態」を打ち出しています。


バブル崩壊後の90年代、デフレ不況にあえぐ店舗が多かった「空白の10年」、堅調に繁盛した店鋪はみな、何らかの生活テーマの{情報受信の広場}を目指したものでした。そして競合の追随を許さない形の先鋭化によって来店頻度の高い習慣的反復来店客をつかみ、その{生活動線の一部}になった店鋪でした。
その来店習慣にはいろいろなパターンがあります。

○来店が家族レジャーにもなる
  100円ショップのダイソウやアウトレットモール

○来店が夜間の気晴らしにもなる
  ドンギホーテ

○来店がデザインギャラリーの鑑賞にもなる
  無印良品

○来店して飲食だけでなく高感度な物販や定期的な新メニューを知り、お洒落にノマド・ワークもできる
  スターバックス

○来店して生鮮を買うだけでなく競りやタイムセールにわくわく参加できる
  生鮮市場
  
来店してモノを買ったり食べたりするだけなら「店種」でもできますが、こうした多様なパターンの個性的経験ができるのが「店態」です。
それにこだわる人やそれがやみつきになる人は、それができない「店種」に見向きもしません。「店態」を反復的に習慣利用する得意客となります。


以上のことは21世紀初頭のいまや当たり前の常識に属します。
しかし、それがどのようなパラダイム転換の結果なのかを理解しておくことは大切です。
なぜなら、{新型の店鋪開発を成功させる必要条件}を学べるからです。
少なくとも{新型}と言う以上、それは受け手にとって「コトの画期的な意味」がある新「店態」でなければならないことを理解しただけでも、送り手の理屈で新「店種」を打ち出して満足する愚を回避することができます。


たとえば、インターネットの企業ホームページは、言わば{情報の店鋪}です。
しかし、果たしてどれほどのものが生活者から習慣的に利用される「店態」サイトになっているでしょうか。

メーカー・サイトのほとんどは、あれを買おうと思った時や機械が故障した時など用事がある時だけ利用される「店種」サイトとして、そもそも用意されています。
メーカーのダイレクト・マーケティングや顧客との相互学習が大切だと言われて久しいですが、それを「店態」サイトとして達成している例は多くはありません。
たとえば、MacPCやiPhoneやiPadのユーザーはアップル社のサイトは何かのついでにチラ見していて興味があることがあれば読んでいます。
さらに「店態」サイトは、 {情報受信の広場} の成熟化と、{生活動線の一部} のレジャー化・イベント化を経た新展開が続いてきました。
無印良品のモノづくりのコミュニティ・サイトでは、プロシューマーを商品開発に参加させて恊働しています。
共同購入型クーポンを告知し販売するグルーポンでは、情報の受信者が様々な商品やサービスの購入客として多様に組織されます。

ネットという先端領域でも、「店態」サイトの好例は数えるほどしかないように、リアルの世界でも「店態」の好例はそんなにたくさんある訳ではありません。
おしなべて言えば、1業界1業種に1つ有力なものがある、というところでしょうか。

つまり、パラダイムとしては特に受け手側の生活者サイドで常識化してはいても、送り手側の店舗開発者サイド、事業開発者サイドでこれを実践したりまして極めようとする人は想いのほか少ないのです。
店舗や事業の「店態」化というものは一朝一夕にできることではありませんから、やっている所は今後も続けてやり、やらないところはやらずに「店種」に留まっていれば、両者の集客力や業績の溝はどんどん開くばかりでしょう。

 



参照:「コンセプト思考術/ざっくりパワポ動画講座8」
    http://youtu.be/zZWUGPpyRKE


*「8)『種』志向か『態』志向かでまったく違う事業になる 」へつづく
  http://conceptos.exblog.jp/24438990/
  
by cpt-opensource | 2015-09-09 04:00 | コンセプト思考術速習10編


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